メディコウ・リーガル #1

メディコウ・リーガル (Medico-legal) とは、医療訴訟について話す時に使われる言葉である。しばしば「法医学」とか「法学と医学に関する」などと訳されているが、実際には医療ミスに伴う訴訟を総括してこのように言う場合が多い。

アメリカでは、なぜ医療ミス訴訟が多いのか?

根本的な考え方の違い

日本とアメリカの「文化」の違いが、訴訟数の開きを生んでいることは事実だが、これは非常に単純な説明であると言わざるを得ない。一般的に言って大部分の日本人は訴訟を嫌う。民事裁判と刑事裁判の境界線は漠然としており、どちらも自分とは関係のない世界だと思っている。

不幸な出来事が発生した場合、その責任の所在をどこに置くかという点で日本人とアメリカ人は全く別の考え方をする。例えば、治療不可能な病気にかかった場合、日本人は「自分の生活態度のどこが悪かったのだろう? 仕事のし過ぎだろうか? 喫煙のせいか? あるいは遺伝だろうか?」と考える。ところが、アメリカ人ならば「誰のせいで私がこのような病気にかかったのか? 仕事を与えすぎた上司(会社)のせいか? 同僚のタバコの煙のせいか? 病気を遺伝させた親のせいなのか?」と思う。両者の思考は正反対であり、都合のよい理屈付けを行う上で、東洋人は「内」に原因を求め、西洋人はそれを「外」に求めるのである。

法システムの違い:トート (Tort)

トートとは、他人の身体、財産、名声などを傷つける結果となり、被害者が損害賠償を請求できる違法な行為のことで、民事裁判の基礎を成す。中世の英国法に起源を持ち、「AがBに損害を与えたと判断された場合、その行為は償われなくてはならない」というのが基本の考え方である。その根底には「あらゆる損害は補償できる」という前提がある(よく考えてみると、これはあまりにも単純な発想だ)。

次に、損害を補償するための具体的な方法として、損害を通貨に置き換えることが行われる。中世イギリスでは「物(もの)」が使われたが、のちに「金(かね)」が取って代わった。ありとあらゆる損害がドルに置き換えられる(これも実に単純なシステムである)。

損害そのものが金で買える場合は、補償は簡単だ。車をぶつけたら、その修理費を払えばよい。修理不可能な場合は、新車を買って返せばよい。しかし、誰かの指を傷つけてしまったらどうだろう? 指の貨幣価値はどうやって計算するのか? 腕や視力を失ったり、両目が使えなくなるほどの損害を与えてしまったら? 名声を傷つけた場合はどうなるのか? その補償金額は? 誰かの健康を損なったら? 脊髄神経にダメージを与えてしまったら? それはどの程度のダメージなのか?

このように、実体のない(無形の、と言ってもよい)損害に対して補償金額を決定することは、不可能ではないとしても大変に難しい。誰かの嗅覚を損なってしまったら? その人が王室のために高級ワインの香りを嗅ぎ分けることで大きな収入を得ている世界的に有名なワイン・テスターだったら、補償金額は変わるのか? あるいは、単に残りの人生を香りなしに過ごさなくてはならない一般の人だったら、補償金額は小さくなるのか?

愛情、世界平和、信仰、宇宙の神秘など、この世には金で買えないものがある。しかし、トート・システムはその事実を全く無視している。

陪審員制度

アメリカの法制では、被告は(通常)12人の陪審員によって裁かれる。医者が訴えられた場合、陪審員席に座るのは12人のドクター(=専門家)ではない。陪審員は投票権を持つ一般市民の中から選ばれる。ところが、このシステムは地域社会の運営と維持に不可欠な職を持つ人々(多くの医者がその中に含まれる)を陪審免除しているため、職を離れても影響がない下級従業員や政府職員、退職した人、および不完全就業者が陪審員の大部分を占めることになる。

彼らの多くにとって、込み入った医療処置や種々の診断に対する解説を理解するのは大変困難である。したがって、裁判が始まる時に原告・被告は両者とも陪審員を上手く「教育」しなくてはならない。説明が複雑になり過ぎると、陪審員はそれに呑まれ、事実よりも感情に重きを置いて判断を下すようになる。彼らが裁判中に質問を持ったとしても、それを尋ねる機会はほとんどない。

傾向として、陪審員は不幸に遭った人物(患者・原告)にとって有利な判決を下すことが多い。被告(医者)は補償金を支払わなければならないが、いずれにせよ(医者が訴訟に備えて加入している)医療事故保険によってカバーされるのである。



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