癌の告知

米国でも約40年前までは、医師は患者と接する時に「死」の可能性には触れなかった。不治の病や進行性かつ非可逆性の疾病をもつ患者の場合、本人に診断名を告げることはなく、そっと家族にのみ真実が知らされた。今では患者の全情報が本人に与えられるようになったが、そこには二つの大きな背景がある。

(1)医療訴訟の急激な増加。癌の告知を行わなかった医師は全てのケースで敗訴している。米国では「患者の医療情報は患者に所属する」と法で決められており、隠すことなく本人に公開し、要求に応じてカルテのコピーを渡さなくてはならない。

(2)膨大な量の臨床研究によって「患者が疾病を認識し、その治療に積極的かつ能動的に参加した場合」の方が「受動的に無知の状態に置かれていた場合」よりも救命率および延命率が高く、また回復期間も格段に早いことが「科学的に」実証されたこと。

一方、日本では神代の昔から「命・病・死」の問題は個人で背負わないことになっていた。家や村に代表される組織が「死へ至る病」の精神的・経済的負担を和らげ、患者が一人で死に立ち向かうことはなかった。日本の医師は今日まで「決して癌の告知を本人にしてはならない」、なぜなら「絶望して自殺するか、精神を病んで死を早める」からだと教育されてきた。彼らは「欧米人と違って、日本人は死の可能性に耐えられない」と信じてきた。この考えの延長線上にあるのが(医師の判断による)安楽死であり、「殺生与奪権」を持つと思い込んでいる医師は多い(新聞で報道される安楽死の実例は、氷山の一角に過ぎない)。癌の告知をする日本人医師も増えてはいるが、本当に必要とされるのは患者本人が自分の医療情報は全て自分のものであると考える、その発想である。そして「生と死」のタブーを乗り越え、自己の責任と役割を見出して自分の足で立ち上がる。人生最大の難局に立ち向かう勇気は、自分を知ってこそ生まれてくるのである。



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